デザイナーズブランドの洋服とは「着れるアート」である

「服を作る モードを超えて」

2013年に発売された、聞き手に宮地泉さんを迎えて製作された、山本耀司さんの言葉を書籍化した本。

 

山本耀司さんといえば、日本を代表するファッションブランド「ヨウジヤマモト」の社長でありデザイナー。

1972年に「ワイズ」を設立して以来、今に至るまで世界で活躍し続けているブランドです。

 

そんな一流ブランドを経営し、未だ第一線で洋服を作り続ける男、山本耀司。

彼の思想や考えが凝縮されたこの本を読んで、改めてヨウジヤマモトはもちろん、デザイナーズブランドの偉大さを再認識しました。

 

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山本耀司は骨の髄まで職人である

「布と向き合って会話をする。その布がどんな服になりたいのか、意思を汲み取って服にする」

本書の中にはそんな言葉がありました。

 

ヨウジヤマモトの洋服には、ウールギャバやシルクの生地がよく使われています。

それぞれ違った特徴を持つものですが、共通しているのは風にひらりとなびくこと。

ブランドは体と服の間に必ず間を作り、風によって生地がなびく様子をとても大切にしています。

 

体の動きに0コンマ数秒遅れて服が風になびく。

そんなところまでを計算して、1着ずつの服を作り上げる。

 

根底にあるのは女性が持つ強さによる、美しさ

小さな頃から、母親が自ら立ち上げた洋服のお店で服を作り、販売し、激しく働く姿を見てきたという耀司さん。

当初レディースから始めたブランドにおける服作りの根底には、そんな女性が持つ強さや美しさを表現したいという気持ちがあったと言います。

 

80年代以降、ヨウジヤマモトの洋服を着ている女性にはそんな力強さがあった。

それが今では、ファストファッションの到来により女性の強さはなくなった。

自分で着たい服を選び、理想像を掲げることを忘れ、流行に流されているようにしか見えないと、耀司さんは本の中で語ります。

 

もちろん女性だけじゃなく、男性も同じようになっている。

 

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いつまでも孤独と戦っている男、山本耀司

ぼくはこの本を読んで、山本耀司さんとは、いつまでも孤独と戦っている男だな、という風に感じました。

反骨心、社会全体への強いメッセージ性と反逆心。

 

自分のコレクションが人から認められたときこそ、次に何をすればいいのか分からない。

上手く行かなかったコレクションのときこそ「次はこうすればいいんだ」と反省点が見つかるけれど、全てが上手く行くと課題点が見つからない。

 

似たことは、同じく日本を代表するブランド「COMME des GARCONS」のデザイナー、川久保玲さんも何かのインタビューで仰っていました。

自分の作ったものが多くの人に認められてしまうと不安で仕方がない、と。

 

常に特別でありたいと思い、特別なものを作り続けるデザイナーという職業。

賛否両論の中にあってこそ、自分の作品は輝いている、注目されていると感じるものなのでしょうか。

 

多くの人に「いい」と言われてしまえば、それはマジョリティということになる。

いつでもマイノリティでないと、特別な存在ではなくなってしまう。

 

作品を作って発表するという行動の中には、普通なら人から認められたい、褒められたいという感情が多くあるものでしょう。

その中にいても、それだけに満足をせず特別を求め続ける。

川久保玲さんと山本耀司さんのような人間は、骨の髄から職人というか、常にマイノリティでいたい人間というか。

 

最近のヨウジヤマモトの洋服は、以前よりも直接的にメッセージを込めた服が目立つような気がします。

「全部やって死ね」と直接プリントされた大胆なアイテムがあったり。

 

本が出版された当時、耀司さんは「文章を書く人にも表現できないことを表現するのがファッションデザイナーというものだ」と仰っていました。

その思想はもちろんありつつ、最近のアイテムになればストレートな言葉を投げかけることによる表現にも手段を変えられていたり。

デザイナーとしての考えの変遷のようなものを辿れる、とても面白い1冊になっています。

 

ファッションとは「着れるアート」である

この本を読んでぼくは、ヨウジヤマモトの洋服を改めて見たいと思い、店舗へ向かいました。

デザイナーズブランドの洋服って、デザインが格好いいという理由で選んでいる人がほとんどだと思います。

 

その裏には、半年以上前に発表されたコレクションには、テーマがある。

テーマに沿って表現される内容や、それぞれに意味がある。

デザイナーさんが決めたテーマは本人の内側に眠っていた思想であり、それを服作りという方法で表現するというもの。

 

いわばファッションって、デザイナーズブランドの洋服ってぼくは「着れるアート」だと思っているんですよね。

しかも半年に1回、まとめてたくさんのアイテムが、ルックが、それらのアート作品が発表される。

ピカソやレオナルド・ダ・ヴィンチが半年に1回というハイペースで作品を発表するようなものなんですよね。

 

それらは今から遡ること、ずっと前に発表された作品だから大きな価値がある。

当時から素晴らしい作品を作っていたのに、死後評価された画家だってたくさんいるように、今ある洋服も何百年も後に博物館で管理されていたり、なんてこともあるかもしれないんです。

 

服のシルエットから作りはもちろん、そこにデザインを乗せてようやく1着の洋服が完成する。

とんでもないことを半年に1回のコレクションへ向けて、それも大量に行い続けているんです。

 

ファッションは、誰もが買えるし着れるアート。

「服を作る モードを超えて」を読んで、ぼくは改めてそう思いました。

伊勢丹新宿店へ行くと多くのデザイナーズブランドの洋服が並んでいますが、そんなことを考えながら並んだ服を見ていたら、いつもよりもどっと疲れてしまった。

 

こうやって考えてデザイナーズブランドの洋服に触れてみると、改めてその素晴らしさが分かります。

たかがファッション、されどファッション。

短い人生を生きるのに、ファストファッションブランドの洋服と、デザイナーズのどちらが着たいか。

 

先ほども書いたように、作品というのはリアルではあまり評価されづらいものだと思っているぼくがいて。

例えばX JAPANのhideだってそう。

NIRVANAのカート・コバーンだってそう。

 

彼が亡くなってしまったとき、ぼくはまだ小さかったので当時の記憶はありません。

それでも、彼らをリアルで見れた当時よりも、もう見れなくなってしまった今の方がずっと尊く、素晴らしいものだったと評価されているように思うんです。

失って初めて、その素晴らしさに気付くというか、そんなところ。

 

それでもぼくが山本耀司さんの発言で最高に痺れたのは、インタビュアーさんによる「100年後、山本耀司の評価はどうなっているでしょう?」という質問に対しての言葉。

 

「関心ないですね。死んじゃっているから、知ったことではないです。」

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