洋服が持つ魔力の話

中途半端な荷物で実家に帰ってきたとき、まるで外出時に着れる服がないことに気付きました。

先日の記事で紹介したUniqlo Uの白無地Tシャツ。足元にはAdidasのStan Smith。

ここまではよかったのに、よそ行き用のボトムスが1本もなかった。

仕方なく、普段は部屋着として、もしくはジムで走るときに履いている、これまたUNIQLOのスウェットパンツを履きました。

その姿で外に出る。弟に借りた原付に乗って、少し離れたカフェに行く。

 

家を出る前に母親から「その格好で出かけるの?まるでパジャマじゃん」と言われたその日のぼく。

母親の言うことをろくに聞かず23年間生きてきたぼく。でも、その度に「ああ・・・やっぱり正しいこと言ってたよなあ。さすが長く生きてるだけあるな」

なんて思いながら、助言と真逆の行動を取った自分を後悔してばかりだった23年間。それでも学ばない24年目。

やっぱり失敗を繰り返しました。白無地Tシャツに、ちょっとボンティングっぽい薄グレーのスウェットパンツ。足元には黒いスニーカー。

完全に、最寄りのコンビニまで行くための格好。もしくは部屋着。

 

その格好でカフェに行って席を取って座り、自分の下半身をまじまじと見返してみる。やっぱり圧倒的にダサい。

そう思った途端、セットしていない髪の毛やサブの黒縁メガネ。それらを身につけていたことも相まって途端に自分が明らかに場違いな場所にいることに気付きました。

「いや、大丈夫。そもそも自分が思っているほど、周りの人は俺のことなんて見てないもんだし」

ここにきて、普段からぼくが大切にしているフレーズを都合のいいように解釈する。

新しいことに挑戦するとき、自分をさらけ出した記事を書くとき。恥ずかしい気持ちを払拭するために言い聞かせる言葉も、こうやって使ってしまえば美意識を下げるばかり。

一時的に恥ずかしさは飛んでいくものの、ふと鏡に映った自分を見てみると「いや、ここは近所のコンビニか」と突っ込みたくなってしまう。

 

本当はカフェでブログを書こうと思っていたものの、服装のせいでまるで集中できなかったと自分に言い訳をしていると、気が散って服屋にでも行きたくなってきた。

一瞬だけ「でもこんな格好じゃな」とは思ってはみるけど、欲求には勝てない。それもここは都内じゃない。渋谷ならまだしも、ここは都内じゃない。

そう言い聞かせて電車に乗ると、窓に映ったのはやっぱり明らかに部屋から出る予定がない日のぼく。

古着屋に着いて洋服を漁る。本当はトップスを欲していたと思うんだけど、無意識にそして熱心にジーンズを漁っていた。安くていい1本があれば、買ってこの場で履き替えよう。

 

結局買わずにお店を後にした訳だけど、その足で実家からもほど近い一人暮らしの家に寄り、スウェットをPETIT STANDARDに穿き替えた。

ついでに足元も大好きなiroquoisのスリッポンに履き替えて外に出た。その瞬間、さっきまでのぼくはもういなかった。

あまり見られたくない。ダサいからあんまり人に見られたくない。そう思っていたぼくはもういない。

白無地Tシャツにジーンズを穿き、足元にはお気に入りのスリッポンを合わせたぼくは、心なしかついさっきまでよりも背筋がピンと伸びているようでした。

 

まるで別人のようで、生まれ変わったようだった。自信に満ちていた。

気分がよくなって、その足で一人カラオケ専門店に入ってみた。さっきまで聞いていたLUNA SEAの曲を大声で歌って、2曲歌ってすぐ枯れた。

これがスウェット姿だったら、カラオケには行かず帰っていたかもしれない。

 

お気に入りの洋服は、自分でも格好いいと自信を持って思えるコーディネートは、着ているその本人の気分を高めてくれる。勇気と自信を持たせてくれる。

ファッションの力って偉大なんだなと、改めて思った1日のことでした。

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いわた

いわた

洋服の経年変化を愛でるファッションブロガー。自分で着たい服を作ることも。 個人ブログ「いわタワー」も運営しています。

YouTubeチャンネル「いわたの偏愛コレクション」